くどいようだが忍耐の人とは私のことだ。
ひょんなことから中学校で柔道部を3年間続けた私ではあったが、高校を目指す頃にはいろんな夢をいだいていた。
まず一つは彼女を作ること。
彼女ができない理由の大きな要因は自分が柔道部であることだと思い込んでいた私は、高校で柔道部は絶対に入らないと誓っていた。
次に野球部が陸上部に入りたいと考えていた。
野球部に入りたい理由は「タッチ」の南ちゃんのようなマネージャーと恋がしたいと考えたからであり、陸上部は「ナイン」というこれもタッチの作者である、あだち充の作品なのだが単純にその影響だ。
どちらも必ず絵に書いたような女子高生がヒロインだ。
そう、そんなヒロインと恋がしたいと心から願ったのだ。
そして、なんだかんだとそれなりに努力して大阪のとある高校へと進学した私は、胸をときめかせながらクラブ見学を始めた。
ところが、である。
なんとその高校には「野球部」が存在しなかった。
高校といえば甲子園だろ?と思い込んでいた私は、高校には無条件で野球部はあると思い込んでいたのだ。
それも無名の弱い高校なら甲子園を賑わせること間違いないと、予選で勝ち進む気満々で想像をビッグバンのように膨らませていたのだ。
このショックは大きかった。
高校へ進学して、いきなりの挫折である。
仕方なく、私は陸上部の見学に向かった。
ご存知の方もいるだろうが、私は太ってた。
なぜなら柔道部から勧誘されるぐらいだから。。。
私もばかじゃない、いくらなんでも陸上部に本気で入れるわけがないと心のどこかで感じてはいたのだ。
だから、実際には見学というよりもチラ見程度で終わった。
さて、困った。。。
私は途方に暮れた、これで高校生活は帰宅部として過ごすしかないかと思いかけていた。
あ、ちなみにその高校、柔道部もなかった。
そんなとき、私に声をかける一人の女生徒が現れた。
「あれ?奥本くん?」
校庭のベンチに腰を降ろし、流れる雲を見上げていた時の出来事だ。
私が声のする方を向くと、そこには見覚えのある顔があった。
「中曽根先輩!」
そう、中学3年間、私を柔道部に誘った中曽根先輩だ。
「どうしてここに?」と困惑する私。
「奥本くんこそ、この高校に入学したんだ!びっくりだね」
と再開をとても喜んでくれているかのような満面の笑顔で近づいてくる中曽根先輩。
(あ、ちなみに会話は大阪弁なんですけどね、、、)
私の横に腰を降ろした中曽根先輩はとてもいい香りがしていた。
いわゆる石鹸の香りのような「ザ、青春」って感じの香り。
そんな中曽根先輩は私に顔を近づけてこう言った。
「ところで奥本くん、クラブは決めたの?」
私は、特にどこも決めてませんと伝えると、中曽根先輩の笑顔はさらに大きくなった。
「そしたらさ、私と同じクラブに入らない?男子部も女子部もあってさ、合同で練習とかもするから楽しいよ!」
女性に、それも年上にそう言われて断るなんてできなかった私は二つ返事で入部することを約束した。
中曽根さんの所属するクラブはハンドボール部だった。
練習風景を見せてもらうと、男子部と女子部が仲睦まじくボールを取りあっているではないか。
みんな笑顔で、さわやかに汗をかいていた。
そしてそこに中曽根先輩がいる。
断る理由はなかった。
入部した初日、中曽根先輩が男子部のキャプテンに私を紹介してくれた。
「ね?体も大きいし柔道部だったから、ちょっとやそっとの衝撃にも耐えられると思うよ」と訳の分からないことを言う中曽根先輩に、そのキャプテンも「そうだね、いい感じだね」と満足そう。
はてなマークが飛びまわる私に、キャプテンはそっと手をさし出してくると「よろしくゴールキーパー」と白い歯をこぼした。
そして、あの見学で見た男女混合の練習は年間に数回しかなく、ほとんどは地獄のような練習だけが続く毎日だった。
みなさんは御存知だろうか?ハンドボールという競技を。
とくにハンドボールのキーパーって最悪なポジションだと言える。
数mの距離からジャンプしてボールを投げつけてくるのだ。
怖くないはずがない。
特に冬の練習で顔にでも当たった日には涙も出るって。
それからというもの、わたしはゴールキーパーとして体中でシュートを止めるという過酷なポジションを3年間耐え忍ぶこととなったのだ。
だって、辛いときや悲しいとき、絶妙なタイミングで中曽根先輩が「奥本くん、がんばってね」って言うから。。。
そう、私は忍耐の人なのだ。
2010年07月31日
忍耐の人U
posted by 奥本P at 12:33| Comment(2)
| エッセイ
2010年07月07日
忍耐の人
忍耐の人とは私のことだ。
中学の時体が大きいということで柔道部に勧誘された。
正直いい迷惑だったのだが見学に行くと女子部もあって、その中に一つ上の先輩で中曽根さんというかわいらしい部員が「あなただったら強くなれるから」と誘っていただいたのでやってみることにした。
これは女性に言われたから鼻の下を伸ばしたわけではない。
おぼっちゃん的な育ちの私としては女性のお誘いを軽くあしらうことなどできるわけないからだ。
かくして私の柔道人生はスタートした。
しかし、柔道は御存知の通りイタイスポーツだ。
投げられる練習、つまり受身を徹底的にやらされる。
夏は異様な匂いが漂い、冬は凍えそうになりながら、そんな日々が続くのだ。
だが忍耐の人である私は、グッとこらえながら練習に励んだものだ。
ある日のこと、初めて先生から寝技を教えてもらった。
横四方と縦四方という技。
横四方は仰向けに倒れた相手を横から押さえつける技で、縦四方は相手に覆いかぶさるように抑えつける。
そしてその練習相手にあたったのが、なんと女子部の中曽根さん。
正直嬉しかったことは言うまでもない。
しかし喜びすぎた私は先生の話を聞いていなかった。
先生は「抑えこむまでの体の動きを覚えるだけで、実際に抑えこむな」と私に言ったらしい。(これは先生に後から聞いた話なので、私は当然記憶にない)
そんな私は先生の「はじめ!」という掛け声で一心不乱に中曽根先輩を押さえ込んだ。それも縦四方で。
簡単にいえば正常位みたいな形で相手を抑えこんだのだ。
「ちょ、ちょっと!」中曽根先輩の困惑した声。
「先輩、手は抜きませんよ」というバカな私のつぶやき。
その瞬間、先生に竹刀でおもいきり私はどつかれた。
「お前、なにやってんねん!だれが押さえ込めって言うてん!」
寒ーい空気が漂う柔道場
我に返る私。。。
でも、中曽根先輩はやさしかった。
「奥本くん、やっぱり強いね」
ほれてまいません?こんなこといわれたら。。。
私のこの事件はしばらく柔道部の伝説となったのは言うまでもない。女子部員を押さえ込んだ男。
そんなレッテルを貼られても、私は忍耐の人として3年間柔道を続けたのだ。
中曽根、先輩がいたから。
中学の時体が大きいということで柔道部に勧誘された。
正直いい迷惑だったのだが見学に行くと女子部もあって、その中に一つ上の先輩で中曽根さんというかわいらしい部員が「あなただったら強くなれるから」と誘っていただいたのでやってみることにした。
これは女性に言われたから鼻の下を伸ばしたわけではない。
おぼっちゃん的な育ちの私としては女性のお誘いを軽くあしらうことなどできるわけないからだ。
かくして私の柔道人生はスタートした。
しかし、柔道は御存知の通りイタイスポーツだ。
投げられる練習、つまり受身を徹底的にやらされる。
夏は異様な匂いが漂い、冬は凍えそうになりながら、そんな日々が続くのだ。
だが忍耐の人である私は、グッとこらえながら練習に励んだものだ。
ある日のこと、初めて先生から寝技を教えてもらった。
横四方と縦四方という技。
横四方は仰向けに倒れた相手を横から押さえつける技で、縦四方は相手に覆いかぶさるように抑えつける。
そしてその練習相手にあたったのが、なんと女子部の中曽根さん。
正直嬉しかったことは言うまでもない。
しかし喜びすぎた私は先生の話を聞いていなかった。
先生は「抑えこむまでの体の動きを覚えるだけで、実際に抑えこむな」と私に言ったらしい。(これは先生に後から聞いた話なので、私は当然記憶にない)
そんな私は先生の「はじめ!」という掛け声で一心不乱に中曽根先輩を押さえ込んだ。それも縦四方で。
簡単にいえば正常位みたいな形で相手を抑えこんだのだ。
「ちょ、ちょっと!」中曽根先輩の困惑した声。
「先輩、手は抜きませんよ」というバカな私のつぶやき。
その瞬間、先生に竹刀でおもいきり私はどつかれた。
「お前、なにやってんねん!だれが押さえ込めって言うてん!」
寒ーい空気が漂う柔道場
我に返る私。。。
でも、中曽根先輩はやさしかった。
「奥本くん、やっぱり強いね」
ほれてまいません?こんなこといわれたら。。。
私のこの事件はしばらく柔道部の伝説となったのは言うまでもない。女子部員を押さえ込んだ男。
そんなレッテルを貼られても、私は忍耐の人として3年間柔道を続けたのだ。
中曽根、先輩がいたから。
posted by 奥本P at 13:52| Comment(2)
| エッセイ
2010年07月01日
大阪人列伝
これは私が20歳くらいの時の話だ。
私の親戚のおばちゃんが脳梗塞で倒れた。
対応が遅かったためか、医者もたぶんもうダメだと家族には告げたそうだ。
近所に住んでいた私と母はとりあえず病院へ駆けつけることにした。
おばちゃんの家族はもちろん、近所に住む親族関係も何人かすでに病室に入っており、意識のないおばちゃんを囲んで暗い空気だけが漂っていた。
私と母もおばちゃんに声をかけては見たが何の反応もなく、ただ息をしているといことがわかると言う程度だった。
その時、私の親族の中でも一番”うるさい”おばちゃんが何かを思いついたかのように「そうや!」と声をあげた。
ちなみに”うるさい”というのは、いわゆる仕切り屋的なおばちゃんという意味だ。
そのおばちゃんはみんなから「なっちゃん」と呼ばれていて、いつでも元気だけがとりえな人。
そのなっちゃんが真剣な顔で、お医者さんや看護師はもちろん、みんなの前で、それも大きな声でこういった。
「なぁ、だれかおっぱいもんだれや!」
誰も唖然とした。
私も耳を疑った。「おっぱい???」
かまわずなっちゃんは、意識を失っているおばちゃんの息子を指さし「ほら、あんたでええからもんだれ!そしたら気持ちようなって目覚ますかもしらんで」
暗い雰囲気だった病室が、不謹慎にも爆笑の渦に飲み込まれた。
お医者さんも、看護師さんも、そしてみんなが大笑いをした。
それから数日後、おばちゃんは息を引き取った。
私の親戚のおばちゃんが脳梗塞で倒れた。
対応が遅かったためか、医者もたぶんもうダメだと家族には告げたそうだ。
近所に住んでいた私と母はとりあえず病院へ駆けつけることにした。
おばちゃんの家族はもちろん、近所に住む親族関係も何人かすでに病室に入っており、意識のないおばちゃんを囲んで暗い空気だけが漂っていた。
私と母もおばちゃんに声をかけては見たが何の反応もなく、ただ息をしているといことがわかると言う程度だった。
その時、私の親族の中でも一番”うるさい”おばちゃんが何かを思いついたかのように「そうや!」と声をあげた。
ちなみに”うるさい”というのは、いわゆる仕切り屋的なおばちゃんという意味だ。
そのおばちゃんはみんなから「なっちゃん」と呼ばれていて、いつでも元気だけがとりえな人。
そのなっちゃんが真剣な顔で、お医者さんや看護師はもちろん、みんなの前で、それも大きな声でこういった。
「なぁ、だれかおっぱいもんだれや!」
誰も唖然とした。
私も耳を疑った。「おっぱい???」
かまわずなっちゃんは、意識を失っているおばちゃんの息子を指さし「ほら、あんたでええからもんだれ!そしたら気持ちようなって目覚ますかもしらんで」
暗い雰囲気だった病室が、不謹慎にも爆笑の渦に飲み込まれた。
お医者さんも、看護師さんも、そしてみんなが大笑いをした。
それから数日後、おばちゃんは息を引き取った。
posted by 奥本P at 16:10| Comment(1)
| エッセイ
2010年06月21日
ゲロッパ
これは私の知人によく話す出来事なのだが、、、
今から20年ほど前、私はミュージシャンを夢見る青年だった。
そう、今では決して呼ばれることのない響き、青年だった。
いつもギターケースを抱え、当時の相棒とスタジオにこもっては曲作りに励んでいた。
当時、月に4箇所程度はライブハウスにも出演しおり、同期といえば「シャ乱Q」や「ウルフルズ」などで、これでも対バンの経験もある。
(念のため対バンってのはライブハウスなどで共演することね)
その上、私はとあるコンテストにおいても、審査員に会場のロビーで「君たちシャ乱Qよりいいんじゃない?」と言われたほどハートフルメッセージソングを贈り続けるミュージシャンだたのだ。
まぁこれはあくまで自己評価というやつなので聞き流してもらえればいい。
さて、話を元に戻そう。
そんなミュージシャン時代の出来事だ。
私は相棒といつものように大阪、梅田の某スタジオで曲作りをした後二人で飯を食ってJR大阪駅へ向かった。
するといつも以上に人がごったかえしているではないか。
駅のアナウンスに耳をすませてみるとどうやら台風が直撃しているらしく、3時間は動かないとのこと。
仕方がないので私は相棒とホームへ上がり、台風が過ぎるのを待つことにした。
ホームの上は比較的人が少なかった。
みんな強風から逃れるため階段付近に集まっているためだ。
私と相棒はホームの中程でギターケースに持たれながら他愛のない話をしていた。
すると相棒が私の肩をつつき指を指してきた。
指の指す方を見てみると一人の女性がホームの際で立ちすくんでいるではないか。それもあきらかに危険な位置で。
自殺?とも思ったが、あきらかに電車の止まっているこの状況でそんなことを考える奴はいないだろうと思い、しばらく様子を伺っていると、どうやら酔っ払って気分が悪いということが判明した。
込み上げてくるものを必死でこらえているようで、足元もふらついている。
普通であれば放っておくのだが、たまに見える顔があまりにかわいらしく、ここは男として助けてやらねばと本能が動いた。
そして相棒も同じ気持だったようだ。
二人は以心伝心でギターを抱え、その女性の方へ近づいた。
と、その時、、、、
その女性はこらえきれず、口から大量にゲロッパ!!!
さらに、台風の強風がホームを吹き抜けた!!!
そして、その風は何故か私と相棒にめがけて突進してくるではないか。
人は究極の恐怖を感じると物事がスローもションになるという。
まさしくそのとおりだった。
彼女の口から飛び出したゲロッパは、スローモーションで私たちへクルクルと回転しながら飛んできた。
友人の「うわーっ」という声も低速再生のようなに私には聞こえていた。
ピチャっ!ピチャっ!
いくつものゲロッパが私たちの体に直撃した。
どうすることもできなかった。
一瞬の出来事は私たちを最悪の日にたたき落としたのだ。
どれくらい時間がたったのだろう。
おそらく数分だったかもしれない。
ゲロッパを撒き散らしその場にうずくまった女性に数人の男性が駆け寄っていた。
「大丈夫ですか?立てますか?」と紳士ぶった奴らが女性に手をかしていた。
私たちは立ち尽くしていた。
誰も近づいてこなかった。
ゲロまみれの私たちはただ、大阪駅のホームに立ち尽くしていた。
それから30分後、電車の運行が再開された。
徐行運転という条件付きで。
満員電車が大阪駅に到着し、その電車に多くの人がすし詰めで乗り込んだ。
そう私たちも。
でもなぜだろう。
私たちの周りには微妙に空間ができていた。
今から20年ほど前、私はミュージシャンを夢見る青年だった。
そう、今では決して呼ばれることのない響き、青年だった。
いつもギターケースを抱え、当時の相棒とスタジオにこもっては曲作りに励んでいた。
当時、月に4箇所程度はライブハウスにも出演しおり、同期といえば「シャ乱Q」や「ウルフルズ」などで、これでも対バンの経験もある。
(念のため対バンってのはライブハウスなどで共演することね)
その上、私はとあるコンテストにおいても、審査員に会場のロビーで「君たちシャ乱Qよりいいんじゃない?」と言われたほどハートフルメッセージソングを贈り続けるミュージシャンだたのだ。
まぁこれはあくまで自己評価というやつなので聞き流してもらえればいい。
さて、話を元に戻そう。
そんなミュージシャン時代の出来事だ。
私は相棒といつものように大阪、梅田の某スタジオで曲作りをした後二人で飯を食ってJR大阪駅へ向かった。
するといつも以上に人がごったかえしているではないか。
駅のアナウンスに耳をすませてみるとどうやら台風が直撃しているらしく、3時間は動かないとのこと。
仕方がないので私は相棒とホームへ上がり、台風が過ぎるのを待つことにした。
ホームの上は比較的人が少なかった。
みんな強風から逃れるため階段付近に集まっているためだ。
私と相棒はホームの中程でギターケースに持たれながら他愛のない話をしていた。
すると相棒が私の肩をつつき指を指してきた。
指の指す方を見てみると一人の女性がホームの際で立ちすくんでいるではないか。それもあきらかに危険な位置で。
自殺?とも思ったが、あきらかに電車の止まっているこの状況でそんなことを考える奴はいないだろうと思い、しばらく様子を伺っていると、どうやら酔っ払って気分が悪いということが判明した。
込み上げてくるものを必死でこらえているようで、足元もふらついている。
普通であれば放っておくのだが、たまに見える顔があまりにかわいらしく、ここは男として助けてやらねばと本能が動いた。
そして相棒も同じ気持だったようだ。
二人は以心伝心でギターを抱え、その女性の方へ近づいた。
と、その時、、、、
その女性はこらえきれず、口から大量にゲロッパ!!!
さらに、台風の強風がホームを吹き抜けた!!!
そして、その風は何故か私と相棒にめがけて突進してくるではないか。
人は究極の恐怖を感じると物事がスローもションになるという。
まさしくそのとおりだった。
彼女の口から飛び出したゲロッパは、スローモーションで私たちへクルクルと回転しながら飛んできた。
友人の「うわーっ」という声も低速再生のようなに私には聞こえていた。
ピチャっ!ピチャっ!
いくつものゲロッパが私たちの体に直撃した。
どうすることもできなかった。
一瞬の出来事は私たちを最悪の日にたたき落としたのだ。
どれくらい時間がたったのだろう。
おそらく数分だったかもしれない。
ゲロッパを撒き散らしその場にうずくまった女性に数人の男性が駆け寄っていた。
「大丈夫ですか?立てますか?」と紳士ぶった奴らが女性に手をかしていた。
私たちは立ち尽くしていた。
誰も近づいてこなかった。
ゲロまみれの私たちはただ、大阪駅のホームに立ち尽くしていた。
それから30分後、電車の運行が再開された。
徐行運転という条件付きで。
満員電車が大阪駅に到着し、その電車に多くの人がすし詰めで乗り込んだ。
そう私たちも。
でもなぜだろう。
私たちの周りには微妙に空間ができていた。
posted by 奥本P at 16:25| Comment(4)
| エッセイ
2010年06月12日
夢の国で大阪弁
私がディズニーランドへ行ったのは1回だけ。
それも今から20年以上も前のことだ。
ありきたりかもしれないが高校3年の卒業旅行で悪友4人がその時のメンバー。
私は以前から話している通り中の下の下あたりのおぼっちゃん風な男の子。田中君ははしゃぐのが大好きなアンガールズの山根君風の男の子。大地君はいつも冷静沈着に我らの参謀的な地位を担ってくれている男の子。向江君は188センチと背は高いのだが内向的な男の子だ。
この4人は高校3年間いつも仲の良かったメンバーで文化祭でバンドもやったし、映画も作ったし、何度となく夜通し語り合ったこともある。
そんなメンバーも卒業と同時にそれぞれの道へと進むことがきまっていたので、金を貯め2泊3日でディズニーランドへ遊びに行くことを決めたというわけだ。
男4人で東京ディズニーランドへ行く。
目的は無論楽しむことであったが、もう一つの目的が私たちにはあった。
それはナンパ。
東京の女の子と仲良くなりたいという願いが私たち4人共通のサブテーマであった。
新大阪から東京へ向かう新幹線の中で、私たちはこのミッションをどのように成功させるのか真剣に話し合った。
そしていつしか作戦よりも、作戦が成功した後のことについて議論が白熱した。
遠距離恋愛ってどうなんだ?
月に何度くらい会うのがいいんだ?
お金が必要になるな。。。
寂しいって言われて東京へ行くとなったら新大阪発は何時が最終なんだ?
などなど、、、
呆れるほどのバカ4人組はそんなことを語り合いながら新幹線の中を過ごした。
東京について私たちは新幹線のホームにある「東京」と書かれた駅名の下で何枚も写真を撮り、人の多さに驚きながらバスに乗ってディズニーランドへ向かった。(注意:当時はディズニーランドまで電車は走っていなかったのだ)
ホテルにチェックインし、我々は即座に夢の国、ディズニーランドへ入った。
「ドナルドやんけ!」「ミッキーやんけ!」と大阪弁で興奮しながらうかれまくった。
そしてついにシンデレラ城の前で我々と同じ4人組の女子を発見!
テンションはピークに達することとなる。
我々は即座に作戦会議を開いた「誰が声をかけるのか?」
これは最も重要なことだ。
会議の結果、ノリの一番いいアンガールズ山根君似の田中君が先発隊として突撃することとなった。
彼は我々に敬礼をすると両手をポケットに入れ、できうる限り格好をつけて4人組の女子の元へ向かった。
我々は息をのみながら作戦が遂行されるのを見守った。
そして田中君は4人のもとへ行くとこう切り出した。
「ねえちゃん!一緒にホーンテッドマンションに乗らへん?
俺らもちょうど4人やねんやん!なぁ、あかん?」
見守っていた我々は新喜劇のようにズッコケるしかなかった。
まさか大阪弁でナンパするとは想像もしていなかったからだ。
もちろん結果は女子4人に失笑されて終了。
しかし戻ってきた田中君は首をかしげた。
「俺、何があかんかってんやろ?」
ほろ苦い卒業旅行の思い出である。
それも今から20年以上も前のことだ。
ありきたりかもしれないが高校3年の卒業旅行で悪友4人がその時のメンバー。
私は以前から話している通り中の下の下あたりのおぼっちゃん風な男の子。田中君ははしゃぐのが大好きなアンガールズの山根君風の男の子。大地君はいつも冷静沈着に我らの参謀的な地位を担ってくれている男の子。向江君は188センチと背は高いのだが内向的な男の子だ。
この4人は高校3年間いつも仲の良かったメンバーで文化祭でバンドもやったし、映画も作ったし、何度となく夜通し語り合ったこともある。
そんなメンバーも卒業と同時にそれぞれの道へと進むことがきまっていたので、金を貯め2泊3日でディズニーランドへ遊びに行くことを決めたというわけだ。
男4人で東京ディズニーランドへ行く。
目的は無論楽しむことであったが、もう一つの目的が私たちにはあった。
それはナンパ。
東京の女の子と仲良くなりたいという願いが私たち4人共通のサブテーマであった。
新大阪から東京へ向かう新幹線の中で、私たちはこのミッションをどのように成功させるのか真剣に話し合った。
そしていつしか作戦よりも、作戦が成功した後のことについて議論が白熱した。
遠距離恋愛ってどうなんだ?
月に何度くらい会うのがいいんだ?
お金が必要になるな。。。
寂しいって言われて東京へ行くとなったら新大阪発は何時が最終なんだ?
などなど、、、
呆れるほどのバカ4人組はそんなことを語り合いながら新幹線の中を過ごした。
東京について私たちは新幹線のホームにある「東京」と書かれた駅名の下で何枚も写真を撮り、人の多さに驚きながらバスに乗ってディズニーランドへ向かった。(注意:当時はディズニーランドまで電車は走っていなかったのだ)
ホテルにチェックインし、我々は即座に夢の国、ディズニーランドへ入った。
「ドナルドやんけ!」「ミッキーやんけ!」と大阪弁で興奮しながらうかれまくった。
そしてついにシンデレラ城の前で我々と同じ4人組の女子を発見!
テンションはピークに達することとなる。
我々は即座に作戦会議を開いた「誰が声をかけるのか?」
これは最も重要なことだ。
会議の結果、ノリの一番いいアンガールズ山根君似の田中君が先発隊として突撃することとなった。
彼は我々に敬礼をすると両手をポケットに入れ、できうる限り格好をつけて4人組の女子の元へ向かった。
我々は息をのみながら作戦が遂行されるのを見守った。
そして田中君は4人のもとへ行くとこう切り出した。
「ねえちゃん!一緒にホーンテッドマンションに乗らへん?
俺らもちょうど4人やねんやん!なぁ、あかん?」
見守っていた我々は新喜劇のようにズッコケるしかなかった。
まさか大阪弁でナンパするとは想像もしていなかったからだ。
もちろん結果は女子4人に失笑されて終了。
しかし戻ってきた田中君は首をかしげた。
「俺、何があかんかってんやろ?」
ほろ苦い卒業旅行の思い出である。
posted by 奥本P at 15:26| Comment(1)
| エッセイ
2010年06月07日
恐怖体験
私は基本的に目に見えないものを信じるタイプだ。
UFOも幽霊も妖怪も、そしてトトロもいると信じている。
私が中学生くらいの時の話だ。
当時、私は母親との二人暮らしだった。
部屋は隣同士というか、フスマ一枚隔てただけのもので、部屋の様子などいつでも伺える。具体的に言うと先に寝付かれてしまうといびきの音が地響きのように聞こえてくるので、イライラとの戦いになってしまう。また寝言で起こされることもしばしばある。
そんな我家でおきた出来事だ。
ある日、私は金縛りにあった。
それまでも金縛りにはよくあっていたので、特に驚くこともなかったがその日はちょっと違った。
薄暗い自分の部屋がだんだんと闇に包まれたかと思うと、いつの間にやら広い草原になっていた。
そしてどこからともなく何千、何百とも思える馬のヒヅメや人の足音が聞こえたかと思うと、私の寝ている布団の周りを駆け抜けていくではないか。
「わー!わー!」という合戦の掛け声やら喚き声と共に、その足音達はどんどん増えていく。
そして、金縛りの中、なんとか横目で見ると、あきらかに鎧武者達が部屋の中を駆けまわっている。
その時である。
私の胸が急に重みを感じた。
すると首のない血だらけの武者が胸の上に立っているではないか。
声を出したくても何故か声が出ない。
動きたくても動けない。
そんな状況の中、私は思いつく限りのお経を唱えた。
「なんまいだー、なんまいだー」
「南妙法蓮華経〜」
「アーメン」など・・・
どれくらいった時だろう、フっと力が抜け元通りの状況となった。
汗だくで布団の上で大の字にくたばっていた私は、呼吸が落ち着くとトイレに行ってそのまま寝た。
まぁ、実際寝るまでに時間はかかったが(当然怖かったしね)
あくる日
私が起きると、いつものように母が弁当を作ってくれていた。
「おはよう」と声をかけると、母はニヤっと不気味に笑いこう言った。
「あんた、昨日うなされとったやろ?」
「え?あ、ああ」
確かにうなされていた。っていうよりどえらい経験をしたのだ。
すると母は続けた
「あんた、昨日枕元に武者が出たやろ?」
私は驚愕した。なぜそれを知っている?
「私もな昨日武者が出てん。めちゃくちゃたくさん騎馬隊やら足軽みたいなんがおってな・・・」
私は、昨日の出来事が夢じゃなかったんだと思い、自分の体験したことを母に話した。
母は「そうなんや、やっぱりあんたのところへ行ったんや」と言うとまたニヤリと笑って続けた
「私な、苦しかったから、あんたのとこ行け!あんたのとこ行け!って必死になって祈ってん。そしたらフーって消えてな、しばらくしたら隣の部屋であんたがうなされだしたから笑っててん」とお弁当を詰めながら平然と言う母の背中を見つめ、私は思った。
これからこういう目に遭った時は、母さん、あなたに行けって念じさせてもらいますよ(ケケケ・・・)
UFOも幽霊も妖怪も、そしてトトロもいると信じている。
私が中学生くらいの時の話だ。
当時、私は母親との二人暮らしだった。
部屋は隣同士というか、フスマ一枚隔てただけのもので、部屋の様子などいつでも伺える。具体的に言うと先に寝付かれてしまうといびきの音が地響きのように聞こえてくるので、イライラとの戦いになってしまう。また寝言で起こされることもしばしばある。
そんな我家でおきた出来事だ。
ある日、私は金縛りにあった。
それまでも金縛りにはよくあっていたので、特に驚くこともなかったがその日はちょっと違った。
薄暗い自分の部屋がだんだんと闇に包まれたかと思うと、いつの間にやら広い草原になっていた。
そしてどこからともなく何千、何百とも思える馬のヒヅメや人の足音が聞こえたかと思うと、私の寝ている布団の周りを駆け抜けていくではないか。
「わー!わー!」という合戦の掛け声やら喚き声と共に、その足音達はどんどん増えていく。
そして、金縛りの中、なんとか横目で見ると、あきらかに鎧武者達が部屋の中を駆けまわっている。
その時である。
私の胸が急に重みを感じた。
すると首のない血だらけの武者が胸の上に立っているではないか。
声を出したくても何故か声が出ない。
動きたくても動けない。
そんな状況の中、私は思いつく限りのお経を唱えた。
「なんまいだー、なんまいだー」
「南妙法蓮華経〜」
「アーメン」など・・・
どれくらいった時だろう、フっと力が抜け元通りの状況となった。
汗だくで布団の上で大の字にくたばっていた私は、呼吸が落ち着くとトイレに行ってそのまま寝た。
まぁ、実際寝るまでに時間はかかったが(当然怖かったしね)
あくる日
私が起きると、いつものように母が弁当を作ってくれていた。
「おはよう」と声をかけると、母はニヤっと不気味に笑いこう言った。
「あんた、昨日うなされとったやろ?」
「え?あ、ああ」
確かにうなされていた。っていうよりどえらい経験をしたのだ。
すると母は続けた
「あんた、昨日枕元に武者が出たやろ?」
私は驚愕した。なぜそれを知っている?
「私もな昨日武者が出てん。めちゃくちゃたくさん騎馬隊やら足軽みたいなんがおってな・・・」
私は、昨日の出来事が夢じゃなかったんだと思い、自分の体験したことを母に話した。
母は「そうなんや、やっぱりあんたのところへ行ったんや」と言うとまたニヤリと笑って続けた
「私な、苦しかったから、あんたのとこ行け!あんたのとこ行け!って必死になって祈ってん。そしたらフーって消えてな、しばらくしたら隣の部屋であんたがうなされだしたから笑っててん」とお弁当を詰めながら平然と言う母の背中を見つめ、私は思った。
これからこういう目に遭った時は、母さん、あなたに行けって念じさせてもらいますよ(ケケケ・・・)
posted by 奥本P at 08:53| Comment(5)
| エッセイ
2010年06月02日
肥満
私の代名詞だ。
太りだしたのは小学生4年の頃から。
中の下の下の生活ではあったが、母親が私を貧乏人の子に見えないように食べ物だけは気を使ってくれた。
ただ、そこは所詮貧乏人。
貧乏人に見えないようにするためには肉中心の食生活という観点から今の私に育ったのだ。
さて、肥満になると何かとデメリットが多いことは言うまでもない。
小学校生活で言えば、まず体育の時間だ。
ドッチボールとなると私が入ったチームはそれだけで敗戦色が濃くなった雰囲気が漂ってしまう。リレーともなれば確実そのチームは勝てない。
次に女子。
これははっきりとしている。
小中学生(特に当時)の女子の理想の男性は「運動神経」「頭脳」が優先され、私のようなハートが売りの人間は影が薄い。
まぁ私は頭脳もたいしたことはないということを今ここでさらけ出してしまったわけだが、、、
それ以外にも何かとある。
野球をやろうとなると決まってキャッチャーだ。
これは「ドカベン」が悪い!
そしてクラス会などで劇をやろうとなると100%主演は無理。
ただ、こんな幼少時代を過ごしたにもかかわらず、私は落ち込んだことはなかった。
「じゃぁ、自分の輝けるポジションはどこだ?」と、基本前向き思考だったからだ。
ここで「痩せてやろう」という気持ちにならなかったところは問題かもしれないが、肉体的には保守的だが精神的には改革派なのだ。
さて、大人になると肥満であることによるデメリットはさらに大きくなる。
今度は医者から「痩せましょうね」と言われることが多くなるのだ。
それこそ眼科や歯科以外の医者は合言葉のように言ってくる。
ある医者などは「奥本さん、もしお腹がすいたらキャベツを千切りにして食べたらいいんですよ。あ、マヨネーズはダメです」と簡単に言い放つ。
そりゃあんまりだ。
しかし、最近ようやく痩せるべきかな?という気持ちになりつつもある。正直40歳を超えて少し体に負担を感じているからだ。
血圧も高いしね。
一度ビリーザヌートキャンプをやってみたことがある。
ところが目が回ってしばらく立てない状態になってしまった。
そのことを友人のスポーツインストラクターに言うと
「お前死ぬよ」とサラッと言われ驚愕した。
私のような体系の人間がいきなりブートキャンプでビリー隊長に罵声を浴びせられながらハードな運動をすると心臓がもたないというのだ。(まぁ考えりゃ当たり前です)
ってことで、最近ウォーキングをはじめている。
その後のコーラは格別だ!!
え?何か??
太りだしたのは小学生4年の頃から。
中の下の下の生活ではあったが、母親が私を貧乏人の子に見えないように食べ物だけは気を使ってくれた。
ただ、そこは所詮貧乏人。
貧乏人に見えないようにするためには肉中心の食生活という観点から今の私に育ったのだ。
さて、肥満になると何かとデメリットが多いことは言うまでもない。
小学校生活で言えば、まず体育の時間だ。
ドッチボールとなると私が入ったチームはそれだけで敗戦色が濃くなった雰囲気が漂ってしまう。リレーともなれば確実そのチームは勝てない。
次に女子。
これははっきりとしている。
小中学生(特に当時)の女子の理想の男性は「運動神経」「頭脳」が優先され、私のようなハートが売りの人間は影が薄い。
まぁ私は頭脳もたいしたことはないということを今ここでさらけ出してしまったわけだが、、、
それ以外にも何かとある。
野球をやろうとなると決まってキャッチャーだ。
これは「ドカベン」が悪い!
そしてクラス会などで劇をやろうとなると100%主演は無理。
ただ、こんな幼少時代を過ごしたにもかかわらず、私は落ち込んだことはなかった。
「じゃぁ、自分の輝けるポジションはどこだ?」と、基本前向き思考だったからだ。
ここで「痩せてやろう」という気持ちにならなかったところは問題かもしれないが、肉体的には保守的だが精神的には改革派なのだ。
さて、大人になると肥満であることによるデメリットはさらに大きくなる。
今度は医者から「痩せましょうね」と言われることが多くなるのだ。
それこそ眼科や歯科以外の医者は合言葉のように言ってくる。
ある医者などは「奥本さん、もしお腹がすいたらキャベツを千切りにして食べたらいいんですよ。あ、マヨネーズはダメです」と簡単に言い放つ。
そりゃあんまりだ。
しかし、最近ようやく痩せるべきかな?という気持ちになりつつもある。正直40歳を超えて少し体に負担を感じているからだ。
血圧も高いしね。
一度ビリーザヌートキャンプをやってみたことがある。
ところが目が回ってしばらく立てない状態になってしまった。
そのことを友人のスポーツインストラクターに言うと
「お前死ぬよ」とサラッと言われ驚愕した。
私のような体系の人間がいきなりブートキャンプでビリー隊長に罵声を浴びせられながらハードな運動をすると心臓がもたないというのだ。(まぁ考えりゃ当たり前です)
ってことで、最近ウォーキングをはじめている。
その後のコーラは格別だ!!
え?何か??
posted by 奥本P at 08:38| Comment(6)
| エッセイ
2010年05月26日
自己紹介
まずは私のことを話さなければならないだろう。
とはいえ私のブログを読もうと思う人がこの世にいるのかどうか事態が疑問でもあるが、、、
私名前は奥本元(おくもとはじめ)
昭和44年の1月1日に生まれた、いわゆるめでたい人だ。
元々は3日が予定日だったそうなのだが、お産が早まったらしい。
酒を飲みおせち料理を食べていると陣痛がおき、そのまま病院へ向かい夜の11時40分頃に私は産声をあげたのだと聞かされている。
その時、対応した病院の先生が「まにあうかなぁ・・・」としきりにつぶやいていたらしく、何が間に合うのか不安に思った母が訪ねると「せっかくだから元旦のうちに生まれればいいのに」と、医者は2日になる前になんとか出産が終わることを期待していたらしい。
そして私は期待を裏切ることなく元旦のうちに誕生したというわけだ。
それが原因かどうかはしらないが、基本的に私はせっかちな人間であると言えよう。
しかし、おっとりとした一面も持ち合わせている。
よく言えばおぼっちゃん的な一面だ。
中の下の下って感じの家庭環境であったが、育ちの良さを垣間見せることは多々あったと思う。
例えば、並んで待つということは基本的に嫌い。
例えば、残り1個のものを是が非でも欲しいとは思わない、など人と競ってまで奪い取ろうということをしないということだ。
また、電車に乗った時などは微妙な混み具合、つまり空席がかろうじてあるような場合には基本的に座らずに立つことにしている。理由は席を譲るのがじゃまくさいから。
譲ること自体に抵抗はないのだが譲っていいのか悪いのか微妙な人が前に立つと悩むからである。
好意で譲ろうとするのにムッとされた時などには一日中どんよりとした気分になってしまう。
それに電車の扉付近に立っていると、なんとなく男の渋みを感じてしまう。車窓から夕陽が差し込む時間帯などはなおさらドア付近にたたずみ、何気に外を眺めるなんて、シチュエーションとしては最高だ。そんな時は決まって頭の中で「太陽にほえろ」「特捜最前線」などのテーマが自然と流れてくる。
後、私という人間を説明しようとするならば典型的なBであるということくらいか?
私のことをよく知る人からは「完全B型!」と言われる。
ただ、これだけは言いたい。
初対面の人からは「A型ですか?」と確認される!
どうだろう、私のことわかってもらえましたか?
せっかちなのにおっとりとした一面のある典型的なB型、但し初対面にはAと間違われることが多い。。。そういう人間です。
とはいえ私のブログを読もうと思う人がこの世にいるのかどうか事態が疑問でもあるが、、、
私名前は奥本元(おくもとはじめ)
昭和44年の1月1日に生まれた、いわゆるめでたい人だ。
元々は3日が予定日だったそうなのだが、お産が早まったらしい。
酒を飲みおせち料理を食べていると陣痛がおき、そのまま病院へ向かい夜の11時40分頃に私は産声をあげたのだと聞かされている。
その時、対応した病院の先生が「まにあうかなぁ・・・」としきりにつぶやいていたらしく、何が間に合うのか不安に思った母が訪ねると「せっかくだから元旦のうちに生まれればいいのに」と、医者は2日になる前になんとか出産が終わることを期待していたらしい。
そして私は期待を裏切ることなく元旦のうちに誕生したというわけだ。
それが原因かどうかはしらないが、基本的に私はせっかちな人間であると言えよう。
しかし、おっとりとした一面も持ち合わせている。
よく言えばおぼっちゃん的な一面だ。
中の下の下って感じの家庭環境であったが、育ちの良さを垣間見せることは多々あったと思う。
例えば、並んで待つということは基本的に嫌い。
例えば、残り1個のものを是が非でも欲しいとは思わない、など人と競ってまで奪い取ろうということをしないということだ。
また、電車に乗った時などは微妙な混み具合、つまり空席がかろうじてあるような場合には基本的に座らずに立つことにしている。理由は席を譲るのがじゃまくさいから。
譲ること自体に抵抗はないのだが譲っていいのか悪いのか微妙な人が前に立つと悩むからである。
好意で譲ろうとするのにムッとされた時などには一日中どんよりとした気分になってしまう。
それに電車の扉付近に立っていると、なんとなく男の渋みを感じてしまう。車窓から夕陽が差し込む時間帯などはなおさらドア付近にたたずみ、何気に外を眺めるなんて、シチュエーションとしては最高だ。そんな時は決まって頭の中で「太陽にほえろ」「特捜最前線」などのテーマが自然と流れてくる。
後、私という人間を説明しようとするならば典型的なBであるということくらいか?
私のことをよく知る人からは「完全B型!」と言われる。
ただ、これだけは言いたい。
初対面の人からは「A型ですか?」と確認される!
どうだろう、私のことわかってもらえましたか?
せっかちなのにおっとりとした一面のある典型的なB型、但し初対面にはAと間違われることが多い。。。そういう人間です。
posted by 奥本P at 19:07| Comment(5)
| エッセイ